じぇらぁのblog

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基本的にふざけた記事を書いてます。気分を盛り上げたいときにどーぞ!

空のペットボトルは敵か味方か。

 

皆さん、ペットボトルみたことありますか?

そうそう、ジュース入ってるやつね、

自販機とかにねめっちゃ閉じ込められてるやつ。

ポリエチレンテレフタラートのPETね。

あれあるじゃ無いですか。

 

あれって、飲み物入ってる時と、空になった時って邪魔さ加減が大幅に違いますよね!!!

 

少しでも飲み物が入ってると「少しでも自分のプラスになるもの」として手に持ってたりするのがめちゃ楽な『仲間』なのに、空になった途端「中身ねぇ癖にかさばるでっけえ邪魔者」の『敵』になりますよね。

 

たった数ミリの水分で扱いや気分が大きく変わって扱いが変わってしまうなんて不思議ですね。

 

でもそれって人と同じじゃないですかね。

 

人間にも、少しでも自分にプラスだったり一緒にいて楽しいとおもってたらまぁ割と中身が足りなくても全然邪魔に感じないんだけど、もう「こいつには一滴のプラスが無い」って判断した瞬間『邪魔者。私の幸せの敵』って感じで超邪魔に扱ってしまう気がします。いや、します。

 

しかし、それは似てるけど、忘れてはいけない人間との決定的な違いは「中身があるか無いか(はっきり言えば敵が味方か)」なんて主観であり、真実では無いという事。

勝手な一時的な思い込みで敵とみなし、邪険に扱っていては本来は味方のはずの人物も遠ざかってしまう。

また、人はペットボトルの中身と違って再び中身を満たすことができる。溢れさせる事だって可能だ。

それなのに主観と一時の感情だけでその人を最悪と判断するのはいかがなものか。

 

そしてそれは果たして自分にとって良いことなのか?

 

人間にはそれはいつも謎のままだ。ただ時間が経てば「今になって仲良くなって良かったと思う」と感じることは少なく無いはずだ。

 

そこの判断が難しい。

しかし、できないわけでも無い。

そういうときは自分というものを一度手放してみると良い。

 

俯瞰的な視点から物事を見つめ、相手自分と冷静になって思慮を巡らせれば、確実に精度は上がるだろう。それはまるで神になったかのような視点。

(ここでいう神とは絶対的な愛と過去と未来が見通せる存在とする。)

不可欠になる要素は勇気だ。自分を一旦横に置き、「神に任せる勇気」こそが必要だ。

神の視点をのぞいた時、『コイツは今、嫌なやつに見えるかもしれないが、未来でこの人はこういう風に自分を助けてくれる』という愛に溢れる生優し〜い未来が見えたとしよう。

普通、人はそれを信じない。「そんな理想的で都合が良いことが起きるわけ無いじゃないか」、と。

そして、その未来へ繋がる行動をしない。

そこが問題なのだ。

 

勝手に「理想なんて無い!!」と思い込み、行動しない。行動しなければ可能性は一滴も無い。

 

しかしそういう時、私は神に委ねることを試みる。

「こういう未来だったら良いな〜!!」と。一見クソバカに見えるかも知れないし、クソバカだが、行動なき者よりは理想に近い。

 

ここまで話が広がると、もはや対象は人だけでない。

 

かんたんな例を出そう。

どうせ自分は受験に受からないんだ。って思い込んで、悲観的な人がいる。一方、同程度の実力で「ここに受かったら良いな〜!!」ってクソバカな奴がいるとする。そして当然、後者のほうが疑問がある時先生に質問する回数は多いだろうし、勉強についての苦が前者よりも少ないだろう。だから勉強の時間にも差が出る。数ヶ月後の実力は確実にクソバカの方が高いだろう。『今は同じでも』。

 

「幸せな未来を思い込む」ことはそのための行動に繋がり、そうで無いものに対して幸せになれる可能性が高いだろう。それだと過程すら楽しめそうだしね(これは主観)

 

 

話を戻すと、物事をニュートラル(中立)に見つめポジティブにいることでネガティブよりは幸せになれるんじゃね?ってことだ。

そしてそれには勇気がいるということ。

 

一瞬神の視点になれても、そう簡単にすぐ前向きになれるわけでは無いのは知っている。自分が何度もやっても出来なかったから。(でも時間が経てば少しずつ変わっていくのを感じてる)

 

勇気をもて。勇気を持ち、委ねるだけ。

勇気をもって神に考えを放棄して、頭まっさらにして最善の行動を取ろう。考えても無駄なことは大いにある。マイナスにすら働くだろう。だから、やるだけやったら、神に全て任してしまおう。そうすることで心がスッと軽くなる。そうして私は明日も生きていけるのだ。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー勇気が出なくでも大丈夫。

 

不安に心を支配されそうになる。耐えられない。そんなときは、空を見てみてほしい。

空から神が未来の僕らを見て微笑んでるよ。

 

そして中身の無くなったペットボトルを太陽にかざしてみてほしい。

 

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中身が無く、邪魔者だと思っていたペットボトルには、今溢れんばかりの眩しい光と共に、清々しい空で満たされているように見えないか。

 

それは、空のペットボトル。

 

 

 

カラのペットボトル。

 

 

それは、ソラのペットボトルにもなる。

 

 

どっちもおんなじものだ。しかし、見方次第で敵にも味方にもなりうる。

 

 

 

あなたの敵は本当に敵なのか。

 

 

あなたがもし今苦しくて、中身の無いペットボトルに囲まれているの感じるのならば、一度それを空に映してみると何かが変わるかも知れない。

 

 

 

 

空のペットボトルは僕ら次第である。

そしてそれは真実だ。