じぇらぁのblog

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基本的にふざけた記事を書いてます。気分を盛り上げたいときにどーぞ!

無気力の路を果つ。

私は道の途中にいる。

その路では最近うんざりする事ばかり目に付く。

うんざり要素は、元から有りし。が、まいってる時に限って目が悪くなりやけに見つけてしまう。

焼け石に水

畳み掛けてくる心の負債の解消は若さ故か、知識不足か検討つかない。

 

 

これはいまを生きる学生の本質なんだが、「ほっておいてほしいが、構われないと死ぬ。」。

 

食べ物を作ってもらえないと栄養が取れないし、布団を使わせてもらえないと熟睡はできまい。ーーーまぁ熟睡はどんな上質な布団でもできないけどね。

 

私は育ちが良いのでほっておいてほしいと頼んでおいて料理をいただくのはとても申し訳なく感じ、居た堪れなさにまた心に負債を増やしてしまう。

 

 

少し前ならば心の負債など思ったこともなかったがなぜこうなってしまったのか。

これは退化であろうか。いや進化で有る推。

 

 

『元より迷いなき者は、進化なき者。

 迷いし者は、進化の導べ。

 迷いの先に進化あり。

 迷いの先の迷いなき者、此れ進化なき者に非ず』

 

 

という言葉がある。

迷い、悩んで成長しないと何処かでダメになる。これが人間だろう。その成長を知り、喜べる人はきっと成長を続け素晴らしい人になるだろう。ってね。

 

まぁこの言葉は私が今作ったんだけどね。

 

人は1人では生きられない。

確かにそうだ。

大きな枠組みで言えば、そうだ。

逆に言えば小さな枠組みで言えば人は一人で生きねばならない。

 

 

共通テストで悪い点数をとったら文句を言われたりバカにされる。私はされた。慰め寄り添う人なんて稀。私はいない。

しかし私はそれでも生きなければならない。

まだ受験は終わっていない。

 

私の勉強は私のために行ったものであり、周りのためにやってきたわけではないからだ。

何を言われてもへこたれる必要などない。勝手に期待をするからこうなるんだ。ざまぁみろ。

確かに支えてくれたから感謝は必要だ。だが、結局はダメだったら文句を言うような心意気で支えていたのだろう?

わがままを言えば、どんな結果でも慰め寄り添う人に支えられたかった。

 

私だけの道はまだ途中だ。

 

話は変わるが、私は自分の悩みは他人にあまり言わない。言うと慰められたいみたいになるのが嫌いだ。というか、慰められたい直したいどうにかしたいから、欲しい言葉があるから、他人に言うんだろう。まぁ何も意識してない人が多いだろうが、目的は何かと問えばそんなもんだろう。

 

ではそんな時、欲しい言葉をかけてくれなかったら?

自分は傷つき相手に失望する。

全くもって無意味である。

 

私の友達にも共通テストの結果が思うようにふるわなかった人も多くいる。

めっちゃ落ち込んでる人もいる。

医学部志望とかの人とか、めっちゃ頑張ってきただろうに。と思うとこちらまで心がくるしくなる。

 

私はそんな時欲しいであろう言葉をかける。

 

「辛いだろう。よく頑張った。よく頑張ったのは俺がよく知っている。どんな結果でもやってきた事は無駄にはならない。まだ受験は終わっていない、つまりまだまだチャンスはあるんだ。最後まで諦めるな。俺はお前を応援している。どんな結果でも」

と。

 

 

私が一番欲しい言葉なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中では私が一番苦しい。

他人の中ではその人が一番苦しい。

みんな助けてとのたうつ。

私は苦しいながらも慰めの言葉をかける。

 

言葉というものは厳しい状況ではものすごい助けになる。

砂漠の中の水の一滴は純金のそれより価値が大きい。同様に、苦しむひとには肯定と共感の言葉が一番の方がある。

 

私は他人には水を与えられるのに自分には与えてやれない。理屈では無意味なのに、どうしても他人を求めてしまう。

人は一人では生きられない。その言葉の裏にはこの苦しみがあるからだろう。しかし一人で生きるしかない人は?親にも文句を言われ友達は自己回復に熱心に取り組むさなか私は誰を頼ればいいのか。

他人は当てにならない。

よって私は今日も一人で理屈の砂を飲む。

私だけの道はまだ残っている。

 

 

 

 

 

大学行っても楽しい事はないと言われた。忙しすぎてお前の思っているような楽しいことはなにもできないと言われた。

全くもって、なぜそんなことを言うのか。今だけでも希望を持たせてくれよ。それで勉強頑張れるじゃんか。

私はこう答えた。

「時間と楽しみは作るもの。やりがいは自分で見つけるもの。勝手なことを言うな。楽しみがないならなんのために大学にいくんだ」

そう言ったものの、それは正しいと思いつつ確信がなく、言われたダメージをまだ引きずっている。

 

私の苦しみを真に知っているものは私しかいない。悲しいことに、知ろうとするものもいない。

私の苦しみは私が治すしかないのだ。

それが大人になること。自分の苦しみを自分で乗り越えるのが、本当の大人だろう。

私は果たして大人になれるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

努力の割に合わない成果。

親からの文句。

コロナの再ブームによる家での軟禁生活。

まだ残っている受験。

慰めのない人間関係。

 

 

これらに私は立ち向かえるのだろうか。

私だけの戦いはあと一ヶ月。